一時ネットで話題になって閉鎖された、 大阪メトロの英語サイト誤訳問題。「Microsoftの自動翻訳ツールによる翻訳」を「そのまま掲載」した、あまりにひどい誤訳がSNSで拡散していた。
「なぜ気が付かなかったのか」「笑える」「(企業のように)リーガルチェックはなかったのか」と、いろいろな書き込みがされていたけれど、問題なのはそこではなくて、大阪という、地方を代表する都市にある文化的な問題が露呈した事件だった。
国勢調査を基にした都市圏人口によると、大阪都市圏(1205万人)は、1位の東京都市圏(3530万人)に次ぐ2位で、3位の名古屋都市圏(576万人)の実に2倍、全国2位の人口規模である。 参考※2015年国勢調査
その大阪では、よく「東京への人材流出を避ける施策を」とか「大阪でもっとがんばろう」とかいう、クリエイターの人材流出問題を耳にした。そしていつも、それの何が施策がいるほどの問題なのか、何のために何をがんばるんだろう、と変な違和感を感じていた。
大阪は住みやすい。きれいな街とはいえないが、物価は安いし食べ物もおいしい。 東京みたいに不機嫌な顔で電車に乗っている人はあまりいないし、相席になった人をにらみつける習慣もいない。
でもある講演で「関西の文化には、クリエイティブを評価する組織や能力がない」という言葉を聴いて、妙に腑に落ちた。クリエイターの問題ではなく、「文化にない」ことが問題だった。
東京はマーケットサイズが全国規模なので、人口だけで「VS東京!」などと比べられるものではない。
ところが大阪人にはなぜか、「大阪は地方都市」という自覚が、ない。ちっともない。スポーツやコンクールだけが「目指せ全国大会!」「大阪からもっと人材を送り出せ!」の世界で、なぜか「大阪VS東京!」なのである。そして、出張や転勤で行った東京で、「思い知る」のだ。
大阪は、極めて物質的な街なのである。仕入れて売って利益を得る「商売の街」で、原価に「見えないもの」は含まれない。時代の価値観がどれだけ物質から情報へと変わっても、「ソフトにお金を払う」という習慣が、そもそもない。ソフト、つまり「考える」行為は「タダやん」という意識が根底にある。形のないもの、仕入れが発生しないものの値打ちがわからない世界なのだ。
それが、「大阪メトロの英語サイト誤訳問題」の抱える問題なのである。「Microsoftの自動翻訳ツールによる翻訳」を「そのまま掲載」という流れ。これこそ、典型的な地方人の「タダやん意識」の現れではないだろうか。
「翻訳? プロに頼んだらなんぼ? 高っ!」
「パソコンに自動翻訳ツールあるやん」「それでいっとき」
そうして御堂筋線は「御堂マッスルライン」に、天神橋筋は「テンジンブリッジマッスル」に、天下茶屋は「ワールドティーハウス」になった。これはこれで漫才のネタみたいで笑えるけれど、便利でお世話になっていた交通機関だけに、笑えない。
日本一の地方都市がこうなのだ。各地ではどうなのだろう?
ある本で料理研究家の枝元なほみさんが、仕事で呼ばれた地方で「予算が厳しいから」と交通費だけを提示されて「ボランティアならボランティアと、なぜ最初にタダと言わないのだ」と憤った件を書かれていたが、自分の仕事を価値のないように扱われるほど、傷つくことはない。
デザインするのも翻訳するのも料理をするのも「職業技術」だし、「考える」のは、タダじゃない。タダの仕事はありえない。人工知能にはお金を出せても、人の知能に価値はないのだ。世代交代でいつかは変わっていくだろうけれど、見えないものに価値を感じる組織能力を育ててこその文化やクリエイティブではないだろうか。
もちろん東京の上場企業であっても、「クリエイティブを判断できない」担当者はいる。学校ではいい成績で偏差値も高く、真面目。そして発想が東京ローカル、つまり「地方の暮らし」なんて想像できていない場合が多い。でも「判断ができない」「わからない」人がした判断は、クリエイティブを振り回すし、かけた時間の割に、結局誰にも届かないものになってしまう。そもそも自分以外のことはわかるわけがないのだから、足を運んで自分の目で見るか、想像するしかない。わかろうとして想像する、それも「少しだけ敬って想像する」訓練も必要ではないだろうか。
なお大阪人が唯一、評価できる「形のない文化」が「お笑い」である。全国的にも人気の漫才は関西が本場で、 関西出身の芸人でないと勝てないともいわれているM-1グランプリだが、主催している吉本興業には六千人もの芸人さんが所属しているといわれている。そしてお笑いにお金は出すけれど、「お金を払って観る芸かどうか」という評価判断が非常に厳しい。「お金を払ってるんだからちゃんと笑わせてよ」という感じだろうか。厳しい評価をだすけれど、育つのを見届けてくれる文化でもあるのだ。
大阪メトロは大阪人的気質がマイナスに出た誤訳問題で有名になってしまったけれど、2013年に公開されたYouTube動画でも、大阪人気質を存分に発揮している。『恋するフォーチューンクッキー』のPVを企業や地方自治体が独自に制作発表するブームだったころ、お金をかけて外注した大企業のPVが続々と公開される中、大阪メトロは自分たちで撮って編集し、自分たちで制作したものを公開していた。「外注費はないから自分たちで作った」、大阪人気質がプラスに作用した素敵な動画である。
ところで、大阪に3年赴任していたという東北出身の知人は「どれだけ頑張ってしゃべっても、ついに大阪人の会話にはなれなかった」と嘆いていた。慣れなかった…ではなく、なりたくてもなれなかった、という。
会話中によく言われたのが「で、オチはなんやねん?」。当初はなぜ普通の会話にいちいちオチがいるのかが理解できなかったらしい。けれど「何の話やねん」と言われるよりもよっぽどマシだとなぐさめると「よくそうも言われていたけれど、その差がわからない」という。
「何の話やねん」と「オチは何やねん」には、大きな違いがある。「オチはなんやねん?」は「何の話やねん」より、評価のランクは上位だから、嘆くことはない。「惜しい もう一歩!がんばってオチつけて」という感じだろうか。
それ、がんばっただけ進化してたと思います、慣れていってはったと思います、と励ました。大阪人の会話って、意外と「やってみたい」人が多いという発見だった。
なおツッコミ評価の圏外に「なんぼのもんやねん」という言葉がある。これは反省して悲しむべき反応である。大阪は、存在感だけは抜群だけれど、面積は47都道府県で2番目に小さい。それも、海の上に関西国際空港ができるまでは、いちばん小さい47位の最下位だった。大阪は小粒だけれどピリリとカラい街なのだ。