「隣の芝生は青い」という言葉がある。人のことはうらやましく見えるものだけれど、自分を「負け組」「ワーキングプア」と呼ぶ20代の女性たちに生の声を聴く機会があった。心の叫びのようなネガティブな言葉に、日本の就活事情や働き方、勝ち組と負け組、未来の運をよくする方法、セルフマーケティングを考えてみた。
この記事の目次
首都圏の駅近くにあるダイニングバーのカウンター席に、一人飲みが全然似合わない女性の姿があった。20代前半か、場になじまない雰囲気。一時間ほど経って男性が合流した。学生時代の友達を待っていたようで、「ごめん急な残業で…」と、始まった会話に、聞きいってしまった。
残業も通勤ラッシュも、私は聞いているだけでうらやましい
就活に失敗した20代女性の言葉
私は受験も就活も失敗した負け組
この先、自分にはワーキングプアの道しかない
結婚もできないし、老後のお金をためなくちゃ
1990年以降に生まれた世代は、子どものときから不景気しか知らない。少子高齢化で、日本の人口は減っている。でも規制緩和により大学は増えている。平成元年(1989年)の大卒者37万6千人と比べると、平成12年(2000年)の大卒者は53万8千人。大卒者は増えても、正規雇用は減っている。大企業の数も増えてはいない。文部科学省の調査によると、全ての大学で卒業者の進路を調査した結果、2014年の卒業生で就職も進学もしていない人は約15%。毎年8万~10万人の大学卒業生が、就職も進学もしていない (アルバイトなど一時的な仕事についた人も含む)。
していない、のではなく、新卒一斉同時期採用という日本のシューカツシステムのせいで、社会人デビューの時期を逃したケースがある。
大学を出ても就職できない日本の就活事情(文部科学統計要覧:朝日新聞デジタル)
社会人デビューの入り口でつまづき、就活が終活になってしまったような20代。でも「勝ち組」っていったい誰のことなのだろう?東京首都圏の強烈なラッシュアワーで半端ない満員電車に毎日揺られ、残業で疲れている友人の姿が、なぜうらやましい姿に見えるのだろう?
チャップリンなら、彼女にどんな言葉をかけるだろう。
我々は自分を情けなく思いすぎる。
チャールズ・チャップリン監督主演映画「ライムライト」
人生に必要なのは、勇気と想像力と、少々のお金だ。
別の夜、オフィス街のはずれにあるバルで店主と会話をしていると、遅番のフロアスタッフが出勤してきた。20代半ばか、昼間は派遣で働き、夜も二つのバイトを掛け持ちしているという。よほどやりたいことがあってお金を貯めているのか、働く理由を尋ねてみると「老後の生活費のためです」という言葉が返ってきた。「私は学校でバカだったんで」「こんなことならもっと勉強しておけばよかった」と堰を切ったように発する言葉は、ネガティブワード満載だった。
勉強できなかったし、しなかった
就活に失敗して老後のお金のために働く20代女性の言葉
もう結婚も無理だし、一生ずっと一人
どうせ、たいした未来は私にはない
時間というものには、前しかない。その「前」がないのに「老後」はある。仮に25歳とすると、70歳まで45年ある。生きてきた時間よりも遥かに長いその45年、540か月を「自分の老後資金のために働いて過ごすしかない」という。
働き方の常識は崩れていっている。月曜日から金曜日の朝9時から夜5時まで、いつも同じ人と顔を合わせ、終身雇用される働き方は、高度経済成長期に作られた古いシステムなのだ。多様な働き方があるし、 時間で雇われるだけが働き方ではない。冷えたカヴァを飲みながら次の言葉を慎重に探した。
「私も学校は嫌いだったしバイトばっかりしてましたけど」
けれど、今や日本には380万の企業と600万戸ものオフィスがあり、スモールビジネス全盛の時代なのだ。「自分で経営する道もあるかも」とふってみたら「そういうの、私向いてないんで」という言葉がはね返ってきた。「絶対うまくいかなくなる自信あります」「やりたいことでもないですし」。
日本に600万あるオフィスの、小さなひとつをこわごわ経営している経営者として、こうネガティブな言葉を同じ職場で聞かされるのは嫌だし、伝染しそうに思ってしまった。社内規定に「暗い人、出入り禁止」「怒っている人とえらそうな人には関わらない」と定めているが、仮に彼女をアルバイトで雇うにしても、未来がないのに老後はある疲れた20代に、どう値打ちを感じればいいのだろう? それに、やりたいことや好きなことを仕事にしている人が、社会にどれぐらいいると思っているのだろう?
あなたが『やりたいこと』など、社会には必要ない。今すぐ帰って家でやれ、と僕は言ってしまう。
『独立国家のつくりかた』坂口恭平著 講談社現代新書より
自分がやらないと誰がやる、ということをやらないといけない。しかも、それは実はすべての人が持っているものだ。絶対に。
その夜のワインはなかなか酔えなかった。彼女の表情は、溜まったものを吐き出して少し緩んだようにみえたけれど、彼女にとってはこちらが客だった。同じお金を払うなら、接客業として誇りをもって働いている人と、楽しい会話で過ごしたい。彼女の日給を払う気分で支払いを済ませ、月の姿を探しながら移動したバーで、仕切り直してギムレットで乾杯。 頭の中でAKBの『恋するフォーチューンクッキー』のPVがリフレインしていた。
働いている長い時間にキャリアを積んでいないのは、未来への種まきがないように感じてしまった。中身がなければ、詰めればいいのだ。
思い返せば、これまで勝ち組を味わったことはないし、自慢できるものもとくに持ってはいない。SNSで見せびらかせるようなリア充な毎日でもない。でも、負け組でも多分ない。いろいろと笑い飛ばして生きているのは「隣の芝生は青いけれど、よく見たら人工芝かも」という持論のおかげかもしれない。
就活を終えて不要になった会社案内を集めたことがある。段ボール箱に集まった多彩な企業のパンフレットを見ているうちに、就活で失敗し続けた人に、ある共通点があることに気がついた。
集まった企業案内やパンフレットは、アイドルやタレントのCMで見かける知名度抜群の大企業ばかり。ビールに食品、医薬品、衛生品、ゼネコン、金融機関など「蒼々たる大企業」にエントリーしていた。
なぜそこに自分が就職できると思ったのかと聞いてみると「テレビや電車で見て知ってたから」「企業のことは全然わからないし」という。「親が安定した会社希望で」という事情だった。
落ち続けてやっと出た内定に「そんな会社、聞いたことないわ」という言葉を両親にいわれた人もいた。家庭はもちろん、大学というところにも企業や社会に接点はないことがわかった。ただ、それ以前に、彼らの多くは「戦いに勝ち残るタイプ」でも「大企業向け」の雰囲気でもなかった。
大きな組織に勤めるのは、大変なことだと思う。 個人の意思能力を活かせる場は少なく、決められたことを時間通りに日々続ける忍耐力がいる。知名度のある企業ほど、社員として会社やブランドを背負い、身のこなしや言葉遣い、振る舞いも求められる。
地方のロケ中に出会った人は「勝ち残って」入社した大手企業を「軍隊みたいで合わなくて」3年で退職し、のどかな島に移住した。
別のロケ先で畑を耕していた方は、安定を求めて入社した大企業が買収され、とばされた地方の子会社でパワハラにあい、鬱になって農業に転職したという。
ある人は結婚してマイホームを購入したとたんに転勤となり、単身赴任が続いて40代で早期退職を選んだ。
役職が重く、平日は本社近くのワンルームマンションで寝起きし会社の半径から離れないという人もいた。
バーで隣り合った大企業の幹部の方は、就職活動は学校選びで決まっている、人によっては子どもの時に始まっていると言っていた。「自分の子供がエリートかどうか、育てた親が一番わかっているでしょう」と。シアワセ感はとても薄いけれど、核心を突く厳しい言葉だった。
組織は大きければいいというものではない。人にはそれぞれ、向き不向きの環境がある。 就活に限らず、みんなと同じことをして勝ち残っていくのはむずかしい。自分はどれぐらいの組織規模に身を置けば息ができて役に立てるのか、そもそも戦いに向いているタイプなのか、どこにいけば戦わないですむかを探すのもマーケティングだと思う。レッドオーシャンに体当たりしていては身が持たないし、逃げるは恥だが役に立つのだ。
採用担当者は見抜いている。「社風に合うか」「組織に馴染んでくれるか」「我慢強いか」「協調性があるか」。社員100名ほどの会社で二次面接に立ち会ったとき、ある学生の面談時間はとても短かかった。「人に会う仕事に向いてない、すぐに辞めるタイプだ」とのことだった。また、すぐに内定が出そうなリーダータイプの学生がいたが、内定は出なかった。「ルーティンワーク向きじゃない、うちには合わない」という経営者の判断だった。
逆に、就活が楽しくなって就活で社会見学していたという人は、きっかけは落とされた企業を「悔しくて」見に行ってみたら、終業時刻に退社していく社員の表情が暗くて「内定、でなくてよかった」と思ったそうだ。それ以来、エントリーする前に「終業時刻の雰囲気を見に行く」のを習慣にしていたという。
就職氷河期以降の世代には、受験や就活で失敗した経験のある人は星の数ほどいる。学校でバカだったらこの先ずっとバカかというと、そんなはずはない。というより、むしろ学校の勉強は全くダメで勉強嫌いでも、社会で別の頭の良さを発揮している起業家経営者もいる。多くは大変な読書家で、かつ勉強家で、日々インプットを惜しまない。未来へのアップデートを欠かさず、セルフマーケティングで自分をバージョンアップし、「過去のバカだった自分」をネタにして自分を価値のある存在に作りかえている。彼らはみんなサバイバル能力に長けていて「スキを突く」のがとても上手い。
終活に失敗して「婚活でまで失敗したくない」とキャバクラに勤めた人に話を聞いたことがある。キャバクラには意外と高学歴な女性が多く、会話ができなくて苦戦した。このままではとてもかなわないと思い、新聞やビジネス書を読みあさった。中身を詰める努力をしたのだ。おかげで「男を見る目も肥えた」と言っていた。
負け組体験をリベンジした人には、「使う言葉が明るい」という共通点がある。ポジティブすぎる人に会うと疲れるけれど、単なる励まし屋的な言葉ではなく、話をしていると前向きな気持ちになれる言葉である。そして、自分や過去の自分にかける言葉が優しい。時間をとても大切にしていて、今の自分を好きなんだろうと感じる方が多い。
言葉は、未来をひき寄せる。ネガティブワード満載の間は、たいした未来はやってこない。自分が望んでいない未来が向こうからやってくるはずはない。負けたまま値打ちのない自分から這いあがろうと「決めた」あとに、運気の下降線カーブはようやく底を打つのだ。
時間は年齢とともにどんどん速くなり、大切なものになっていくみたいだ。平均寿命まで生きる、という仮定は、時間を無駄に消耗する。「平均寿命まで長い時間がある」と思っている人が多いけれど、この仮定は厚かましい。人はもれなく全員、生きている以上いつか死ぬ時を迎える。けれど寿命は人によって違うし「全員一緒に80代で人生が終わる」なんてことは、ありえない。20~30代で逝った身内や知人を想うと、10年後か5年後か来年か、ひょっとしたら今日で終わってしまうかもしれない。未来はある日突然になくなってしまうものなのだ。
映画『80日間世界一周』のメイキング映像で紹介されていたコメディ俳優は、子供のころ母親に「気楽に生きなさい、どうせ死ぬんだから」と言われて育ち、気楽にコメディアンになったといっていた。「気楽に生きなさい」、なんて素晴らしい教育方針だろう。少しでも楽しいことを選んで、一緒にいて楽しい人と美味しいものを食べて、笑っている時間を重ねてこそ、突然に寿命が来ても悔いがない気がする。
時間の浪費とは、使った時間のわりに成果がない、楽しさがないことである。われわれは浪費や消耗を望んでいないのだ。
『第四の消費』三浦展著 朝日新書より
しかし、そもそも時間を消費しなければ、楽しい時間、充実した時間を過ごせない。
冒頭の、自称負け組の彼女たちは、器量が悪いわけではなかった。けれど、いちばんきれいな20代に、痛々しいほどに負け組むきだしの表情をしていた。他人が決めた万人向けのモデルコースに乗れなかった、ただそれだけのことなのだ。傷がない大人なんていないし、もっと傷つかないと大人にはなれない。人はそれぞれにいろんな事情を抱えつつ、それをいちいち顔には出さずに日々過ごしているものだ。隠していれば実態はわからないのだから、いま笑っている方がいい。
ところが。この彼女たち、ドラマにするなら、まさにヒロインにぴったりの設定なのである。幸せいっぱい、勝ち組スマイルの20代女子の人生なんて、見たくもないし興味もない。まだまだ数々の試練を振りかけるように与え、これでもかといじめ続け、乗り越えさせ、成長させて、思わぬ結末に導くのだ。
林真理子さんや中園ミホさんならどんなドラマにするだろう?ハッピーエンドで終わらせない気さえしてしまう。『ズートピア』だったか『Sing』だったか、ヒロインが夢をかなえていくアニメーション映画に 「人生はミュージカル映画とは違うの、くるくる踊ってる間に問題が解決したり幸せがやって来ることなんてないわ」というセリフがあったけれど、ひょっとしたら幸せを感じる未来は、笑顔でくるくる踊っていればやってくるのかもしれない。
「隣の芝生は、やっぱり青い」。でも隣の芝生に近づいてよく見たら、意外と人工芝かもしれない。現代社会の生き辛さを思い知るできごとだったけれど、他人と比べるより、過去の自分と比べていたい。死ぬ瞬間まで気楽に生きよう、と思ってしまう夜だった。